グ・ラハが天幕でクリスタルタワー調査報告書を認めていると、近頃すっかり聴き慣れた足音が聞こえた。
手を動かしながら耳だけ後ろに向けていると、閉じていた入り口をがばりと開く音がして、足音の主のいやに陽気な声が天幕の中に響いた。
「夜遅くまでお勤めご苦労なこったな、グ・ラハくんよお~!」
「酒くさっ! どんだけ呑んできたんだよ!」
グ・ラハが振り返ると、顔を真っ赤にした冒険者の姿があった。
彼がこれだけ酔っているのを初めて見た。一歩踏み出したかと思えば足元がふらついて、その場に座り込んでしまう。泥酔に近いようだ。
どうしたものかと閉口していると、虚ろな濁った空色がにんまりとこちらを覗き込んできた。嫌な予感がする。
「ところでグ・ラハはぁ、キスしたことあるか~……?」
「はあッ!? ……そ、それくらい、あるに決まってんだろッ」
思い切り見栄を張ってしまったが、未経験だった。
これまでずっと、バルデシオン委員会の仕事やアラグの研究に明け暮れる生活だった。
グ・ラハの目は泳ぎに泳いでいたが、酔った冒険者に勘付かれることはなかった。
「お、意外。じゃあ、舌入れるキスも知ってるかぁ?」
「へ? キスって口と口をつけるもんだろ?」
周りの人々は、色事の話を大っぴらにすることはなかった。加えてグ・ラハ自身も興味がなかったので、詳細な知識は持ちあわせていなかった。
「お子様め。……俺は今日、どっちも体験してきたぞ」
ニヤついた冒険者に揶揄され、思わず口がへの字に曲がる。経験の浅そうな自分をわざわざ選んで、自慢話でもしにきたのだろうか。
酔っ払いは帰れと蹴り出そうとしたが、いかつい戦士の装束でごろりと仰向けになってしまった彼を動かすことはできなかった。
「それがとびっきりの美女でなァ……ウルダハの裏路地を歩いてたらこう、すれ違いさまにぶちゅーっとされたわけ。で、俺がびっくりしてると『かわいいわね、坊や』って囁いてきて舌突っ込まれて……それがすげぇ気持ちよくてさぁ」
「……………それで?」
「その隙に財布を抜かれました。」
冒険者が酒に溺れていた理由がやっとわかり、グ・ラハは大きなため息をついた。
「これが飲まずにやってられるかよ! 初めてのキスがこれってあんまりだろ~!?」
がばりと勢いよく起き上がった冒険者に襟首を掴まれ、がくがくと揺さぶられる。
「だあぁッ、わかったわかった! そいつはご愁傷様だったな! ……というか、あんた今日が初めてだったのかよ」
彼は自分なんかよりよっぽど多くの経験をしていると思っていたから、意外だった。
「まあ、仲間内で『そう』なる奴らもいるけど。俺はそれより色んなところ駆け回る方が楽しかったからな……。最近は帝国だなんだで暇もなかったし」
酔いの回った冒険者は饒舌だった。普段なら話してくれないような、彼の個人的なことを聞き出せてしまった。
酔っ払いの相手をするのも悪いことばかりじゃないな、と頭の隅で密かに高揚する。
「あ~……でもすげぇよかったなアレ……」
うっとりと未知の世界に想いを馳せる冒険者を横目にしながら、グ・ラハはそんなにいいもんなのかよ、と口を尖らせる。すると彼がこちらに寄ってきて、がしりと肩に腕を回された。
「やってみるか?」
「へっ!?」
「いやぁ、お前興味津々みたいだし」
冒険者に指をさされて、自分の尾がぱたぱたと忙しなく動き続けていたことに気がついた。
「オレ女じゃねーぞ!?」
「舌は男でも女でもおんなじだろ」
んべっ、と出された冒険者の舌が蝋燭の光を反射する。てらてらと鈍く光るそれがやけに赤く見える。尾の付け根から背にかけて、ぞわりとした何かが駆け抜けた。
彼の顔が間近にある。酒臭い息が顔にかかる。平時であれば顔を顰めて遠ざけたくなるような酷い匂いだ。それなのに、花の蜜に誘われる蜂のように自ら身を寄せてしまった。
「うぁ……」
勝手に半分開いていた口に、熱くてぬるりとしたモノが侵入ってくる。濃い酒気に当てられ、頭が痺れる。じゅるじゅると強く吸われると、痺れは一層強くなった。
「ん、んッ……」
口の中を弄ってくる舌に自らのそれを絡めると、彼のくぐもった声が聞こえた。腹の底に火が灯る。夢中で彼に縋り付いて快楽を追おうとするが、体も舌もうまく動かせない。……苦しい!
「ッぶはぁっ!」
お互いに酸欠を起こし、勢いよく顔を離してぜえぜえと息を吸う。
「気持ちいいっていうか……良くなる前に息できなくならねーか、これ!?」
「んん、おかしいな……あの女がどうやってたか思い出せん」
冒険者は考え込むように俯いていたが、徐々にその身体は傾いていく。
グ・ラハが覗き込むと、彼はすうすうと寝息をたてていた。
「酔っ払い、厄介すぎるだろ……」
グ・ラハはぐしゃぐしゃと頭を掻き、その辺に放ってあった毛布を冒険者にかけ天幕を後にした。
報告書は、明日でも何とかなる。彼の感触を勝手に反芻し続ける茹った今の頭ではもう、手につきそうもなかった。
「……ということがあったんだが。あんた、覚えてるか?」
「……………今思い出した」
第一世界での冒険を終え、原初世界に戻ってきた現在。
自由になったグ・ラハと気兼ねなく酒が飲みたくて、冒険者は彼を自宅に招いた。その席で、とんでもない思い出話が飛び出してきたのであった。
あの時はやけ酒をして、前後不覚になるくらい酔っていた。朝になってグ・ラハの天幕に転がっていたことだけを覚えていたが、話をされて薄ぼんやりと記憶が蘇ってきた。
自分のことながら、あまりの暴挙に言葉が出なかった。
やっとの思いで謝罪を述べ頭を抱えていると、懐かしむような、それでいてわずかに熱を孕んだグ・ラハの声が降ってきた。
「今思うと、鼻で息すれば良かったんだよなぁ」
「……確かに」
顔を上げて隣を見ると、酒が入っているのか目元を赤くしたグ・ラハがちろりと舌を出していた。
「……その、あんたさえ良ければだけど。再挑戦してみないか?」
どくりと頭の中で音がして、急速に酒が回る心地がした。どうして、あの時グ・ラハは拒否しなかったのか。どうして今、この話をしたのか。
尋ねると、続きがしたいんだ、とただ一言だけが返ってきた。
誘われるまま自分より低いところにある肩を引き寄せると、熱くてぬるりとしたモノが侵入ってくる。
そこから先のことを、忘れることはなかった。
手を動かしながら耳だけ後ろに向けていると、閉じていた入り口をがばりと開く音がして、足音の主のいやに陽気な声が天幕の中に響いた。
「夜遅くまでお勤めご苦労なこったな、グ・ラハくんよお~!」
「酒くさっ! どんだけ呑んできたんだよ!」
グ・ラハが振り返ると、顔を真っ赤にした冒険者の姿があった。
彼がこれだけ酔っているのを初めて見た。一歩踏み出したかと思えば足元がふらついて、その場に座り込んでしまう。泥酔に近いようだ。
どうしたものかと閉口していると、虚ろな濁った空色がにんまりとこちらを覗き込んできた。嫌な予感がする。
「ところでグ・ラハはぁ、キスしたことあるか~……?」
「はあッ!? ……そ、それくらい、あるに決まってんだろッ」
思い切り見栄を張ってしまったが、未経験だった。
これまでずっと、バルデシオン委員会の仕事やアラグの研究に明け暮れる生活だった。
グ・ラハの目は泳ぎに泳いでいたが、酔った冒険者に勘付かれることはなかった。
「お、意外。じゃあ、舌入れるキスも知ってるかぁ?」
「へ? キスって口と口をつけるもんだろ?」
周りの人々は、色事の話を大っぴらにすることはなかった。加えてグ・ラハ自身も興味がなかったので、詳細な知識は持ちあわせていなかった。
「お子様め。……俺は今日、どっちも体験してきたぞ」
ニヤついた冒険者に揶揄され、思わず口がへの字に曲がる。経験の浅そうな自分をわざわざ選んで、自慢話でもしにきたのだろうか。
酔っ払いは帰れと蹴り出そうとしたが、いかつい戦士の装束でごろりと仰向けになってしまった彼を動かすことはできなかった。
「それがとびっきりの美女でなァ……ウルダハの裏路地を歩いてたらこう、すれ違いさまにぶちゅーっとされたわけ。で、俺がびっくりしてると『かわいいわね、坊や』って囁いてきて舌突っ込まれて……それがすげぇ気持ちよくてさぁ」
「……………それで?」
「その隙に財布を抜かれました。」
冒険者が酒に溺れていた理由がやっとわかり、グ・ラハは大きなため息をついた。
「これが飲まずにやってられるかよ! 初めてのキスがこれってあんまりだろ~!?」
がばりと勢いよく起き上がった冒険者に襟首を掴まれ、がくがくと揺さぶられる。
「だあぁッ、わかったわかった! そいつはご愁傷様だったな! ……というか、あんた今日が初めてだったのかよ」
彼は自分なんかよりよっぽど多くの経験をしていると思っていたから、意外だった。
「まあ、仲間内で『そう』なる奴らもいるけど。俺はそれより色んなところ駆け回る方が楽しかったからな……。最近は帝国だなんだで暇もなかったし」
酔いの回った冒険者は饒舌だった。普段なら話してくれないような、彼の個人的なことを聞き出せてしまった。
酔っ払いの相手をするのも悪いことばかりじゃないな、と頭の隅で密かに高揚する。
「あ~……でもすげぇよかったなアレ……」
うっとりと未知の世界に想いを馳せる冒険者を横目にしながら、グ・ラハはそんなにいいもんなのかよ、と口を尖らせる。すると彼がこちらに寄ってきて、がしりと肩に腕を回された。
「やってみるか?」
「へっ!?」
「いやぁ、お前興味津々みたいだし」
冒険者に指をさされて、自分の尾がぱたぱたと忙しなく動き続けていたことに気がついた。
「オレ女じゃねーぞ!?」
「舌は男でも女でもおんなじだろ」
んべっ、と出された冒険者の舌が蝋燭の光を反射する。てらてらと鈍く光るそれがやけに赤く見える。尾の付け根から背にかけて、ぞわりとした何かが駆け抜けた。
彼の顔が間近にある。酒臭い息が顔にかかる。平時であれば顔を顰めて遠ざけたくなるような酷い匂いだ。それなのに、花の蜜に誘われる蜂のように自ら身を寄せてしまった。
「うぁ……」
勝手に半分開いていた口に、熱くてぬるりとしたモノが侵入ってくる。濃い酒気に当てられ、頭が痺れる。じゅるじゅると強く吸われると、痺れは一層強くなった。
「ん、んッ……」
口の中を弄ってくる舌に自らのそれを絡めると、彼のくぐもった声が聞こえた。腹の底に火が灯る。夢中で彼に縋り付いて快楽を追おうとするが、体も舌もうまく動かせない。……苦しい!
「ッぶはぁっ!」
お互いに酸欠を起こし、勢いよく顔を離してぜえぜえと息を吸う。
「気持ちいいっていうか……良くなる前に息できなくならねーか、これ!?」
「んん、おかしいな……あの女がどうやってたか思い出せん」
冒険者は考え込むように俯いていたが、徐々にその身体は傾いていく。
グ・ラハが覗き込むと、彼はすうすうと寝息をたてていた。
「酔っ払い、厄介すぎるだろ……」
グ・ラハはぐしゃぐしゃと頭を掻き、その辺に放ってあった毛布を冒険者にかけ天幕を後にした。
報告書は、明日でも何とかなる。彼の感触を勝手に反芻し続ける茹った今の頭ではもう、手につきそうもなかった。
「……ということがあったんだが。あんた、覚えてるか?」
「……………今思い出した」
第一世界での冒険を終え、原初世界に戻ってきた現在。
自由になったグ・ラハと気兼ねなく酒が飲みたくて、冒険者は彼を自宅に招いた。その席で、とんでもない思い出話が飛び出してきたのであった。
あの時はやけ酒をして、前後不覚になるくらい酔っていた。朝になってグ・ラハの天幕に転がっていたことだけを覚えていたが、話をされて薄ぼんやりと記憶が蘇ってきた。
自分のことながら、あまりの暴挙に言葉が出なかった。
やっとの思いで謝罪を述べ頭を抱えていると、懐かしむような、それでいてわずかに熱を孕んだグ・ラハの声が降ってきた。
「今思うと、鼻で息すれば良かったんだよなぁ」
「……確かに」
顔を上げて隣を見ると、酒が入っているのか目元を赤くしたグ・ラハがちろりと舌を出していた。
「……その、あんたさえ良ければだけど。再挑戦してみないか?」
どくりと頭の中で音がして、急速に酒が回る心地がした。どうして、あの時グ・ラハは拒否しなかったのか。どうして今、この話をしたのか。
尋ねると、続きがしたいんだ、とただ一言だけが返ってきた。
誘われるまま自分より低いところにある肩を引き寄せると、熱くてぬるりとしたモノが侵入ってくる。
そこから先のことを、忘れることはなかった。