クリスタリウムでモーエンツールの改良を夢中でしていたら、いつの間にか夜の帳が下りていた。
我に返り急激な空腹に襲われた冒険者は、ミーン工芸館の工房を後にして彷徨う階段亭のあるムジカ・ユニバーサリスへ足を向けた。
「おっと」
「あっ……ごめんなさい!」
道すがら、上を向いて歩くミステル族の少年とぶつかりそうになった。転びかけた少年の肩を支え、冒険者は軽く空を仰いだあと柔らかく笑いかけた。
「大丈夫。……今日も、星が綺麗だな」
第一世界に夜を取り戻した直後は、大人も子供も空を見ながら歩く人がもっと多くいた。今周りを見渡しても、そういう人は殆どいない。彼らにとって夜空が日常となりつつある証だろう。再び上を向いて歩いていく少年の背と、少年を見守るように暖かく輝くクリスタルタワーを眺めながら、冒険者は目を細めた。
ムジカ・ユニバーサリスに着くと、広場のマーケットボート付近にちょっとした人だかりができていた。何事かと近づいてみると、人だかりの中心には中年のヒュム族の男が見慣れない弦楽器を小脇に抱えて立っていた。どうやら路上演奏が始まるらしい。
男は軽く一礼し、弦をひとつひとつ弾きながら音の確認と調整を素早く行っていく。全ての弦を軽くかき鳴らしひとつ咳払いをしたあと、演奏が始まった。
静かでゆったりとした、どこかあたたかい曲調だ。低く掠れた歌声が、弦楽器から発せられる高めの音色と絡み合い、耳に心地よく響く。
冒険者はこの曲に、聴き覚えがあった。しかし、第一世界での記憶を掘り起こしても思い当たらず首を傾げた。
途中まで知っている曲だと気づかなかったから、何度も聞いたことはないはずだ。記憶の海をさらに深く潜っていくと、原初世界でのとある記憶が冒険者の脳裏に閃いた。
--この曲を初めて聴いたのは、まだ駆け出しの冒険者だった頃。クリスタルタワーの調査をしていた時期だった。
あの頃冒険者は、資金節約のため聖コイナク財団の調査地を宿代わりにすることがあった。天幕に空きがある時のみという条件付きであったが。
石の家で休ませてもらうこともあったが、近頃メンバーが増えてきたのもあり遠慮がちになっていた。
今日もモードゥナで冒険者仲間との情報交換を兼ねた宴会に参加し、懐が寂しいことになっている。
冒険者は基本的にその日暮らしだ。職人として技術を身につければ定期的な収入を得ることもできる。しかし、各地を巡って人の頼みを聞き、時に剣を振るう方が当時の冒険者にはよっぽど楽しく感じられた。
「今日も世話になるとするかぁ……」
調査地に着き、ラムブルースに宿泊の許可を貰おうとしたが、どうやら今日は不在のようだ。夜遅い時間になっていたこともあり、他の調査員の姿も見えなかった。
どうしたものかと冒険者が頭を掻いていると、不意に上から歌声が降ってきた。
中音域のよく通る声だ。決して大きな声ではないのに、すっと胸に届く。誘われるように冒険者は首を上に向けた。
倒れかけた建造物の周りに組まれている足場の、いちばん高いところ。夜でもほの蒼く光るクリスタルに照らされるグ・ラハの姿があった。
冒険者はグ・ラハに気づかれぬよう、静かに梯子を登っていく。彼が自分の存在に気づいたら、歌うのを止めてしまうかもしれない。近くで、もっと聴いていたかった。
最上部へたどり着き、冒険者はそっと頭だけ出してグ・ラハの姿を見た。
グ・ラハは片膝を立てて座り込んでいた。ぼんやりと空を仰ぎながら、夜を想わせる穏やかな旋律を口ずさんでいる。
星の見えない夜だった。彼の視線の先には、ただ闇が広がっているばかりだ。まるでグ・ラハひとりが世界に取り残されてしまったかのようだ。
「お前、歌上手いな」
「うわひぁあっ!?」
最後まで唄を聴いていようと思っていたのに、気がついたら途中で声をかけていた。冒険者の接近に全く気づいていなかったらしいグ・ラハは軽く飛び上がり、これでもかと尾を膨らませる。
「んなっ、な、なんだよッ! 驚かせんなよな⁉︎ つーかあんたいつからそこにいたんだよ!」
「ん、ちょっと前から?」
「だったらもっと早く声かけろっての……」
冒険者はグ・ラハの隣に腰を下ろし、『邪魔したくなかったんだよ』と、むくれている彼の背を軽く叩いた。
「さっき歌ってたの、なんて曲なんだ?」
「……名前は知らねー。故郷の子守唄だよ。子供の頃、眠れない夜によく歌ってもらってた」
グ・ラハは俯き、ふっと小さく息を吐いた。その顔には、一抹の淋しさが滲んでいた。夜の闇でも赤と分かるくらい赤い髪が前に落ち、彼の翠の瞳を覆い隠す。
普段の活発なグ・ラハとはかけ離れた様子に、冒険者の胸の奥からザワザワとした感覚が生まれる。こういう時、どうすればいいのだろう。
衝動的にグ・ラハの方へ手を伸ばしたが、それは彼に触れる前に引っ込められた。今の彼に寄り添えるほど、冒険者はグ・ラハのことを知らなかった。
「……いい唄だな」
冒険者がぽつりと言うと、グ・ラハは驚いたように目を見開いた。そして、くしゃりと笑った。髪の隙間から紅い瞳が覗く。潤んだそれはクリスタルの光を乱反射して複雑に光り、冒険者には妙に眩しく見えた。
「眠れない時に歌うと、なんとなく眠れるような気がするんだよな」
あとからグ・ラハの生い立ちを知って、あの時の一連の様子に納得がいった。あの唄は、幼くしてシャーレアンに譲渡された彼の、数少ない故郷の想い出だったのだろう。
会話が途切れ、ふたりで何もない夜の闇を仰ぎ見る。
冒険者が横目でグ・ラハの表情を伺うと、先ほどまでの孤独と淋しさの影は消えていた。
「あんた、今日はここに泊まっていくのか?」
「寝床が空いてるならな。空いてなかったら、お前のとこで添い寝でもしてやろうか? あったかくて寝つきも良くなるかもしれないぞ」
冗談混じりで返すと、グ・ラハは『むさ苦しくて寝られねーだろ!』と、けらけら笑っていた。
◇◇◇
「……闇の戦士様?」
演奏していたヒュム族の男に呼びかけられて、記憶の水底から意識が浮上する。周りを見回すと、もう誰もいなかった。どうやら演奏は終わっていたらしい。
「ああ、すまん。いい演奏と唄だったよ。……最初の曲は原初世界で聴いたことがあったから、驚いた」
ヒュム族の男はなるほど、と頷く。
「あの曲は、水晶公から『夜を想う唄』として教えてもらったんだ。クリスタリウムの住人なら、誰でも歌える定番曲さ。公と同郷のあんたは、知っててもおかしくないかもな」
「夜を想う唄……」
「光のない夜がどんなものか知らなかった俺たちは、この曲を奏で、歌い、想像してきたんだ。……実際に夜を目の当たりにした時、曲のイメージとぴったりで感動したよ」
グ・ラハがどんな心境でクリスタリウムの民にこの曲を教えたのか、冒険者には想像もつかなかった。けれど、あの時孤独を伴って歌われていた唄は、次元を越えて民たちが希望を見失わないための道標として伝えられた。
少なくとも、あの唄はグ・ラハにとってつらい想い出ではなかったようだ。
ヒュム族の男はクリスタルタワーのある方を向き、眉を下げながら穏やかに話を続ける。
「毎日夜が訪れ、美しい星の瞬きを……優しい月の光を愉しむことができるのは、当たり前じゃなかった。あんたが取り戻してくれたんだってこと、この唄と共に語り継いでいくよ。……それにこの唄は、公との大切な想い出のひとつだからな」
原初世界でのグ・ラハの故郷の想い出の唄が、第一世界で民との想い出を纏って歌い継がれていく。冒険者は不思議な感覚になりながら、男の話に耳を傾けていた。
「ところで、その楽器は……?」
ヒュム族の男が小脇に抱えている弦楽器は、トゥナの店を手伝った際に修理した水晶公のリュートに似ていた。リュートよりもずいぶんと小型で、男の腕にすっぽりと収まるくらいだ。弦の数もリュートの半分以下である。
「ミーン工芸館から最近発売された、新しい楽器さ。水晶祭で演奏会をやろうとなった時、子どもや楽器に慣れていない人でも扱えるように作られたんだ」
男はそう言いながら、片手でポロンポロンと弦を弾く。高めで柔らかい音に、気分が明るくなるような心地がした。
「小さくて持ち運びもしやすいから、旅のお供に最適だ。闇の戦士様も一本どうだい?」
男の足元のケースから、手に持った楽器と同じものが出てくる。どうやら、楽器の宣伝も兼ねた路上演奏であったようだ。
冒険者は腕を組み、ううんと悩むように唸った。
蒼天街の復興を手伝う中で、ピアノをやったことがある。それで楽器演奏の勘所と楽しさは知っていた。それに今は差し迫った危機や仕事もなく、練習する余裕がある。
「……悪くないな。弾き方について、少し教えてもらえるか?」
冒険者が購入を決めると、ヒュム族の男はにかっと笑顔になり冒険者に楽器を手渡した。
「もちろん! あんたならレッスン代は特別免除だ」
自分がこの曲を奏でたら、グ・ラハはどんな反応をするだろう。
楽器を抱え、どの弦を弾くとどんな音が出るのかを確かめながら、冒険者は想像する。
今のグ・ラハは、感情表現の振れ幅が大きい。少年のようにはしゃいでいたかと思ったら、老人のような落ち着きと思慮深さを見せることもある。
予測のつかない万華鏡のような彼の在りようは、冒険者にとっては一緒にいて飽きないという好ましさに繋がっていた。
「ずいぶんと楽しそうだな」
「上手くなったら、さっきあんたが弾いてた曲を聴かせたいやつがいるんだ」
冒険者がニヤリと笑うと、対象の人物に思い当たったであろうヒュム族の男の目がきらりと鋭く光った。
「……ならば、こちらも本気で教える必要がありそうだ」
冒険者はしばらく男の元へ通い、一通りの弾き方を教えてもらった。あとはひたすら練習するのみだ。
グ・ラハを驚かせるためには、楽器の存在と練習していることを悟られたり、人づてで知られたりしないようにする必要がある。そうなると練習場所は限られるが、今の冒険者には無人島がある。人目を気にせず弾き放題だ。
冒険者がどれだけ練習を重ねたのかは、魔法人形だけが知っている。
我に返り急激な空腹に襲われた冒険者は、ミーン工芸館の工房を後にして彷徨う階段亭のあるムジカ・ユニバーサリスへ足を向けた。
「おっと」
「あっ……ごめんなさい!」
道すがら、上を向いて歩くミステル族の少年とぶつかりそうになった。転びかけた少年の肩を支え、冒険者は軽く空を仰いだあと柔らかく笑いかけた。
「大丈夫。……今日も、星が綺麗だな」
第一世界に夜を取り戻した直後は、大人も子供も空を見ながら歩く人がもっと多くいた。今周りを見渡しても、そういう人は殆どいない。彼らにとって夜空が日常となりつつある証だろう。再び上を向いて歩いていく少年の背と、少年を見守るように暖かく輝くクリスタルタワーを眺めながら、冒険者は目を細めた。
ムジカ・ユニバーサリスに着くと、広場のマーケットボート付近にちょっとした人だかりができていた。何事かと近づいてみると、人だかりの中心には中年のヒュム族の男が見慣れない弦楽器を小脇に抱えて立っていた。どうやら路上演奏が始まるらしい。
男は軽く一礼し、弦をひとつひとつ弾きながら音の確認と調整を素早く行っていく。全ての弦を軽くかき鳴らしひとつ咳払いをしたあと、演奏が始まった。
静かでゆったりとした、どこかあたたかい曲調だ。低く掠れた歌声が、弦楽器から発せられる高めの音色と絡み合い、耳に心地よく響く。
冒険者はこの曲に、聴き覚えがあった。しかし、第一世界での記憶を掘り起こしても思い当たらず首を傾げた。
途中まで知っている曲だと気づかなかったから、何度も聞いたことはないはずだ。記憶の海をさらに深く潜っていくと、原初世界でのとある記憶が冒険者の脳裏に閃いた。
--この曲を初めて聴いたのは、まだ駆け出しの冒険者だった頃。クリスタルタワーの調査をしていた時期だった。
あの頃冒険者は、資金節約のため聖コイナク財団の調査地を宿代わりにすることがあった。天幕に空きがある時のみという条件付きであったが。
石の家で休ませてもらうこともあったが、近頃メンバーが増えてきたのもあり遠慮がちになっていた。
今日もモードゥナで冒険者仲間との情報交換を兼ねた宴会に参加し、懐が寂しいことになっている。
冒険者は基本的にその日暮らしだ。職人として技術を身につければ定期的な収入を得ることもできる。しかし、各地を巡って人の頼みを聞き、時に剣を振るう方が当時の冒険者にはよっぽど楽しく感じられた。
「今日も世話になるとするかぁ……」
調査地に着き、ラムブルースに宿泊の許可を貰おうとしたが、どうやら今日は不在のようだ。夜遅い時間になっていたこともあり、他の調査員の姿も見えなかった。
どうしたものかと冒険者が頭を掻いていると、不意に上から歌声が降ってきた。
中音域のよく通る声だ。決して大きな声ではないのに、すっと胸に届く。誘われるように冒険者は首を上に向けた。
倒れかけた建造物の周りに組まれている足場の、いちばん高いところ。夜でもほの蒼く光るクリスタルに照らされるグ・ラハの姿があった。
冒険者はグ・ラハに気づかれぬよう、静かに梯子を登っていく。彼が自分の存在に気づいたら、歌うのを止めてしまうかもしれない。近くで、もっと聴いていたかった。
最上部へたどり着き、冒険者はそっと頭だけ出してグ・ラハの姿を見た。
グ・ラハは片膝を立てて座り込んでいた。ぼんやりと空を仰ぎながら、夜を想わせる穏やかな旋律を口ずさんでいる。
星の見えない夜だった。彼の視線の先には、ただ闇が広がっているばかりだ。まるでグ・ラハひとりが世界に取り残されてしまったかのようだ。
「お前、歌上手いな」
「うわひぁあっ!?」
最後まで唄を聴いていようと思っていたのに、気がついたら途中で声をかけていた。冒険者の接近に全く気づいていなかったらしいグ・ラハは軽く飛び上がり、これでもかと尾を膨らませる。
「んなっ、な、なんだよッ! 驚かせんなよな⁉︎ つーかあんたいつからそこにいたんだよ!」
「ん、ちょっと前から?」
「だったらもっと早く声かけろっての……」
冒険者はグ・ラハの隣に腰を下ろし、『邪魔したくなかったんだよ』と、むくれている彼の背を軽く叩いた。
「さっき歌ってたの、なんて曲なんだ?」
「……名前は知らねー。故郷の子守唄だよ。子供の頃、眠れない夜によく歌ってもらってた」
グ・ラハは俯き、ふっと小さく息を吐いた。その顔には、一抹の淋しさが滲んでいた。夜の闇でも赤と分かるくらい赤い髪が前に落ち、彼の翠の瞳を覆い隠す。
普段の活発なグ・ラハとはかけ離れた様子に、冒険者の胸の奥からザワザワとした感覚が生まれる。こういう時、どうすればいいのだろう。
衝動的にグ・ラハの方へ手を伸ばしたが、それは彼に触れる前に引っ込められた。今の彼に寄り添えるほど、冒険者はグ・ラハのことを知らなかった。
「……いい唄だな」
冒険者がぽつりと言うと、グ・ラハは驚いたように目を見開いた。そして、くしゃりと笑った。髪の隙間から紅い瞳が覗く。潤んだそれはクリスタルの光を乱反射して複雑に光り、冒険者には妙に眩しく見えた。
「眠れない時に歌うと、なんとなく眠れるような気がするんだよな」
あとからグ・ラハの生い立ちを知って、あの時の一連の様子に納得がいった。あの唄は、幼くしてシャーレアンに譲渡された彼の、数少ない故郷の想い出だったのだろう。
会話が途切れ、ふたりで何もない夜の闇を仰ぎ見る。
冒険者が横目でグ・ラハの表情を伺うと、先ほどまでの孤独と淋しさの影は消えていた。
「あんた、今日はここに泊まっていくのか?」
「寝床が空いてるならな。空いてなかったら、お前のとこで添い寝でもしてやろうか? あったかくて寝つきも良くなるかもしれないぞ」
冗談混じりで返すと、グ・ラハは『むさ苦しくて寝られねーだろ!』と、けらけら笑っていた。
◇◇◇
「……闇の戦士様?」
演奏していたヒュム族の男に呼びかけられて、記憶の水底から意識が浮上する。周りを見回すと、もう誰もいなかった。どうやら演奏は終わっていたらしい。
「ああ、すまん。いい演奏と唄だったよ。……最初の曲は原初世界で聴いたことがあったから、驚いた」
ヒュム族の男はなるほど、と頷く。
「あの曲は、水晶公から『夜を想う唄』として教えてもらったんだ。クリスタリウムの住人なら、誰でも歌える定番曲さ。公と同郷のあんたは、知っててもおかしくないかもな」
「夜を想う唄……」
「光のない夜がどんなものか知らなかった俺たちは、この曲を奏で、歌い、想像してきたんだ。……実際に夜を目の当たりにした時、曲のイメージとぴったりで感動したよ」
グ・ラハがどんな心境でクリスタリウムの民にこの曲を教えたのか、冒険者には想像もつかなかった。けれど、あの時孤独を伴って歌われていた唄は、次元を越えて民たちが希望を見失わないための道標として伝えられた。
少なくとも、あの唄はグ・ラハにとってつらい想い出ではなかったようだ。
ヒュム族の男はクリスタルタワーのある方を向き、眉を下げながら穏やかに話を続ける。
「毎日夜が訪れ、美しい星の瞬きを……優しい月の光を愉しむことができるのは、当たり前じゃなかった。あんたが取り戻してくれたんだってこと、この唄と共に語り継いでいくよ。……それにこの唄は、公との大切な想い出のひとつだからな」
原初世界でのグ・ラハの故郷の想い出の唄が、第一世界で民との想い出を纏って歌い継がれていく。冒険者は不思議な感覚になりながら、男の話に耳を傾けていた。
「ところで、その楽器は……?」
ヒュム族の男が小脇に抱えている弦楽器は、トゥナの店を手伝った際に修理した水晶公のリュートに似ていた。リュートよりもずいぶんと小型で、男の腕にすっぽりと収まるくらいだ。弦の数もリュートの半分以下である。
「ミーン工芸館から最近発売された、新しい楽器さ。水晶祭で演奏会をやろうとなった時、子どもや楽器に慣れていない人でも扱えるように作られたんだ」
男はそう言いながら、片手でポロンポロンと弦を弾く。高めで柔らかい音に、気分が明るくなるような心地がした。
「小さくて持ち運びもしやすいから、旅のお供に最適だ。闇の戦士様も一本どうだい?」
男の足元のケースから、手に持った楽器と同じものが出てくる。どうやら、楽器の宣伝も兼ねた路上演奏であったようだ。
冒険者は腕を組み、ううんと悩むように唸った。
蒼天街の復興を手伝う中で、ピアノをやったことがある。それで楽器演奏の勘所と楽しさは知っていた。それに今は差し迫った危機や仕事もなく、練習する余裕がある。
「……悪くないな。弾き方について、少し教えてもらえるか?」
冒険者が購入を決めると、ヒュム族の男はにかっと笑顔になり冒険者に楽器を手渡した。
「もちろん! あんたならレッスン代は特別免除だ」
自分がこの曲を奏でたら、グ・ラハはどんな反応をするだろう。
楽器を抱え、どの弦を弾くとどんな音が出るのかを確かめながら、冒険者は想像する。
今のグ・ラハは、感情表現の振れ幅が大きい。少年のようにはしゃいでいたかと思ったら、老人のような落ち着きと思慮深さを見せることもある。
予測のつかない万華鏡のような彼の在りようは、冒険者にとっては一緒にいて飽きないという好ましさに繋がっていた。
「ずいぶんと楽しそうだな」
「上手くなったら、さっきあんたが弾いてた曲を聴かせたいやつがいるんだ」
冒険者がニヤリと笑うと、対象の人物に思い当たったであろうヒュム族の男の目がきらりと鋭く光った。
「……ならば、こちらも本気で教える必要がありそうだ」
冒険者はしばらく男の元へ通い、一通りの弾き方を教えてもらった。あとはひたすら練習するのみだ。
グ・ラハを驚かせるためには、楽器の存在と練習していることを悟られたり、人づてで知られたりしないようにする必要がある。そうなると練習場所は限られるが、今の冒険者には無人島がある。人目を気にせず弾き放題だ。
冒険者がどれだけ練習を重ねたのかは、魔法人形だけが知っている。