冒険者は原初世界と第一世界を繋ぐゲートを潜り、星見の間に出た。
ハーデスを下し第一世界に夜を取り戻してから、冒険者は原初世界との往復が増えていた。
テレポで第一世界へ直接移動することもあるが、今日は原初世界に取り残された暁の面々の体調はまだ変わりないことを水晶公に伝える必要があり、こちらの方が都合が良かったのだ。
冒険者が姿を見せるや否や、慌てた様子の水晶公とライナが駆け寄ってきた。
「ああ、ちょうど良かった……! 来てもらったばかりで申し訳ないが、あなたの手を借りたい状況なのだ」
いつもは鷹揚に出迎えてくれる彼がこの様相ということは、ただ事ではない。
水晶公の後ろに控えているライナの緊迫した面持ちからして、自分に求められていることは荒事だろうと見当がついた。
「俺は何を倒せばいい?」
「ありがとう。……今、街の近辺で大型のはぐれ罪喰いが暴れているのだ。その討伐に、私と共に来てほしい」
「水晶公と? 衛兵団じゃ歯が立たないくらいの大物なのか?」
冒険者が首を傾げると、ライナが一歩前に出て敬礼をし、口を開いた。
「暁の皆さんは各地に出向いていて不在、衛兵団は紫葉団の大規模襲撃の対応で手一杯の状況です。公とあなたの手を煩わせることになってしまい歯がゆいばかりですが、どうかお力添えを」
「紫葉団……あの賊まがいの奴らか」
紫葉団とはエルフ族の守旧派組織である。冒険者も以前彼らの襲撃の対応に当たったことがある。
ライナによると、紫葉団は罪喰いの脅威が去ったことで勢いづき、レイクランドの覇権を手にしようと最大規模の襲撃が発生しているとのことだった。
それに加えて大型のはぐれ罪喰いが出現したとなっては、確かに人手不足にもなる。
夜を取り戻し大半の罪喰いを退けても、火種はそう簡単に無くなりはしないものだ。
「すぐに出よう。水晶公、それでいいか?」
「ああ、もちろん。……罪喰いはすぐそこまで来ている。迅速に討ち取る為にも、あなたには攻撃に専念してもらいたい」
「わかった」
暗黒騎士の姿をしていた冒険者は、纏うエーテルを即座に切り替え、侍の姿になった。
「……私が先導する。行こう」
水晶公はなぜか一瞬動きを止めこちらをじっと見ていたが、すぐに背を向け駆け出していった。冒険者もそれに続き、はぐれ罪喰いの元へと向かった。
対峙した罪喰いは、コルシア島で水晶公と共に戦った時のものと似ていた。
獣の頭に大きく発達した上半身、そして長い尾。レイクランド特有の薄紫色の木々を薙ぎ倒し、周辺の動物を玩具のように壊し、力を振るっていた。
出会い頭の咆哮は耳を塞いでやり過ごし、冒険者は水晶公と顔を見合わせる。
水晶公は光る剣と盾を構えながら、にやりと笑った。
「……三度、格好いい活躍を、お見せ願えるかな?」
「仰せのままに」
応えるように冒険者も口の端を上げ、刀を抜き罪喰いへ斬撃を浴びせ始めた。
罪喰いには急所といえるものが存在しない。ゆえに、活動が停止するまでひたすらにダメージを与え続ける他ない。
罪喰いの直接攻撃は水晶公が受け持ち、時折撃たれる魔法を躱しながら、冒険者は次々に閃を放つ。傷付けば、水晶公が即座に癒しの魔法を唱える。
水晶公と組んで戦ったのはホルミンスターとコルシア島の時くらいだが、彼とはやりやすいと冒険者は感じていた。
各分野のエキスパートである暁のメンバーには及ばないものの、攻守・癒し手を柔軟にこなすことができる。今回のように少人数で戦う場合は、特に心強い。
なにより冒険者が欲しいと思った支援や攻撃が、適切なタイミングで飛んでくる。
現に今も、攻撃しやすい位置に罪喰いを上手く誘導しており、冒険者は攻撃に専念できた。
タフな罪喰いではあるが、負ける気がしない。
水晶公もそう思っているのか、僅かに二人の緊迫感が緩んだ。その時だった。
「グォオオオオー……ッ!」
不意に、二度目の咆哮が放たれた。
「ぐあッ……!」
予備動作もなしに発せられたそれを防ぐ術はなく、冒険者はその場で膝をつく。霞む視界の端で水晶公も同じくよろめいているのが見えた。
罪喰いの尾がぶんと勢いよく振り回され、水晶公の盾を薙ぎ払う。エーテルで構成されたそれは掻き消え、彼を守るものはなくなった。
「く……!」
「水晶公!!」
まだ動くことができない冒険者は、ただ叫ぶことしかできなかった。
罪喰いの拳が水晶公の脳天めがけて振り下ろされる。冒険者の背を冷や汗が流れた、次の瞬間。
ガキン、という音がした。肉と骨が砕ける音ではなく、石がぶつかったような、硬い音だった。
「彼を護るのは……私の役目だ! 先に倒れる訳には、いかないだろッ!」
水晶公は罪喰いの拳を、水晶の腕で受け止めていた。彼は眼光鋭く罪喰いを睨みつけている。しかし衝撃は生身の部分に伝わっているのか、体はぶるぶると震え汗が噴き出していた。
罪喰いが更に力を篭め、前のめりになる。水晶の腕からミシミシと軋む音が鳴り、ついに砕け散った。
細かい水晶の破片が宙を舞う。陽の光を反射して、汗にまみれた水晶公の横顔をきらきらと照らす。
冒険者にはその光景がやけにゆっくりと流れていくように見えた。
「ガァアアアッ!!」
腕が砕けるのと同時に、水晶公が罪喰いの懐へ飛び込み、剣を罪喰いの首元に深く突き刺した。真白な巨体が大きくのけぞる。
「今だッ!!」
「っ……! ああ!」
水晶公の掛け声を引き金に、冒険者は立ち上がる。深く息を吸い、心を鎮めた。
冒険者は罪喰いに三度斬撃を浴びせた後、身を屈めて力を溜める。
冷気が足元を覆い切った瞬間、居合い術・乱れ雪月花を放つ。そこから間髪を入れず返しの雪月花と必殺剣を叩き込んだ。
「ォオオオ……ッ」
罪喰いは断末魔の声を上げた後倒れこみ、活動を停止した。
冒険者は罪喰いを完全に仕留めたことを確認し、胡座をかいて座り込む水晶公の元へ駆け寄った。
「水晶公!」
「ああ……お疲れ様。見事な太刀筋だった。あなたがその姿で戦うのを初めて見たが、思わず魅入ってしまったよ」
「いや、のんきに笑ってる場合じゃねえだろ! 腕が……!」
水晶の右腕は無惨にも砕け散り、肘から下が失われていた。血は出ておらず、断面は複雑に光を反射しながら地面の薄紫色を映している。
冒険者はこの時初めて、彼の腕はただの鉱石なのだと思い知った。
これまで人間のものと遜色なく滑らかに動いていたから、実感がなかった。
「……すまないが、なにか袋があれば、貸してもらえないだろうか?」
「え……」
言葉を失って俯いていた冒険者に、水晶公の柔らかな声が落とされる。冒険者が顔を上げると、水晶公は少し困ったように微笑んでいた。
「砕けた水晶を回収する必要があってね。……元々結晶化した部分を砕いて、エーテルで繋ぎ合わせて動かしているんだ。だから、大丈夫だ」
なんでもないような口調で宣う水晶公に、冒険者は再び絶句する。
だが、まずは彼の腕を元に戻さなければならないと思い直し、持ち物入れから大きめの布袋を取り出した。
「あなたは本当になんでも持ち歩いているな」
「俺も、手伝う」
「……助かるよ。ありがとう」
そうしてお互い無言で、散らばった水晶の破片を拾い集めた。
あらかた集め終えると、水晶公は破片の入った袋を持ち、木の影に隠れて座り込んだ。
「頼み事ばかりで心苦しいが、元に戻す間人が来ないか見ていてくれるだろうか」
冒険者が理由を尋ねると、水晶公は少しの沈黙のあと訳を口にした。
「民を怖がらせてしまうだろう? ……だから、このことはあなたの胸の裡に留めておいてくれると助かる」
冒険者は頷き、水晶公に歩み寄った。そうして彼に背を向け、自身の身体でも水晶公を覆い隠すように佇んでいた。
先ほどまで罪喰いが暴れていた場所に人が近寄る訳もなく、辺りはやけに静かだった。
聞こえるのは水晶の欠片同士がカチカチ当たる音と、遠くでクリスタリウムの衛兵団と紫葉団が争っているような音だけだった。
しばらくして『終わったよ』と声をかけられた。振り向くと、水晶公の右腕は何事もなかったかのようにそこに在った。
「ほら、大丈夫だろう?」
そう言って水晶公は滑らかに水晶の腕と指を動かしてみせた。冒険者は、それに対してどう答えていいか分からなかった。
「……紫葉団の方も、手伝ってくる」
「何から何まですまない。あなたが戻る頃に合わせて、なにか食事を用意しておくよ」
冒険者は水晶公に背を向け、ジョップ砦の方へ歩き出した。
頭の中には、コルシア島で水晶公と語らった時の彼の言葉がぐるぐると渦巻いていた。
『――私はすでに、人の身ではないのだから』
◇◇◇
冒険者が彷徨う階段亭で呑んでいると、水晶公が通りかかるのが見えた。
はぐれ罪喰いとの戦いから数日経っていたが、それ以降彼とは顔を合わせていなかった。
あの日紫葉団を撃退した後、冒険者は星見の間には寄らず、そのままペンダント居住館の自室に戻った。
自室のテーブルには、いつかの時のようにカゴいっぱいのサンドイッチがそっと置かれていた。
冒険者は水晶公に声をかけるか少し逡巡した後、腹にぐっと力を込めて彼を呼び止めた。
「おーい! 水晶公!」
耳をわずかに上下させた水晶公は振り向き、階段の下から声の主を見上げた。嬉しげに口角を上げ、水晶公は冒険者のいるテーブルへやってきた。
「……おや、誰かと食事をしていたのか?」
テーブルに載っている二人分の食器に目ざとく気づいた水晶公に尋ねられる。
「ああ。ルー・リークに飯食べようって誘われてな。先に帰っちまったけど」
腹は膨れたが呑み足りなかった冒険者は、ひとりで延長戦をしていたのであった。
水晶公も一緒にどうだと誘うと、彼は素直に席についた。
「ルー・リーク……あなたと共にアンドレイアを倒した、賞金稼ぎのミステル族の青年か」
「よく知ってるな」
「四使徒に賞金をかけたのはセツルメントだからな。彼らの顛末については全て報告を受けているよ」
話しているうちにテーブルに届いた果実酒を口にしながら、水晶公は答えた。
「なんか、ルー・リークみたいな奴を放っておけなくてな。……誰かさんみたいでさ」
「はて。その誰かさんに心当たりはないが……伝説の闇の戦士殿に目をかけてもらえるとは、うらやましいことだ」
とぼけたように水晶公は指を顎にかけ、イタズラっぽく笑う。冒険者も喉を鳴らしてくつくつと笑った。
グ・ラハ・ティアがクリスタルタワーで眠りについてから、冒険者は彼と似たような直情型のミコッテの青年の世話を焼いてしまうようになった。
ギラバニアで出会ったメ・ゼト然り、ルー・リーク然り。今にして思うと、冒険者はグ・ラハともっと一緒にいたかったのかもしれない。
そして今、それが叶っている。
こうして彼と軽口を叩き笑いあっていると、数日前から感じていた心の澱がみるみるうちに消えていった。共にクリスタルタワーを駆けたあの日に戻ったかのような心地だ。
目の前の水晶公の楽しそうな顔が、在りし日の彼にぴたりと重なる。
ずいぶんと落ち着いたが、やはり彼は間違いなくあのグ・ラハ・ティアなのだと思った。
「グ・ラハ・ティア……」
冒険者はふわふわとした心地で、彼の目を見てその名を呼んだ。
冒険者にとっては数年前、水晶公にとっては百余年前の名前を、ひとつひとつ、噛みしめるように。
「っ………!」
普段はあまり動かない水晶公の耳がぴんと立ち、紅い魔眼が大きくひらかれた。その後目を伏せ、ゆっくりと頷く。
「うん………」
そのままお互い無言で生ぬるい空気を味わう。冒険者はふと、ここ数日頭の中を巡っていた彼のあの言葉について、今なら尋ねてみても良いのかもしれないと思い立った。
「……あのさ。人の身ではないって、お前言ってたよな。それってどんな感じなんだ?」
「ええと、そうだな……」
答えることを拒まれるかもしれない、と内心緊張していた冒険者は、特に様子の変わらない彼を見てほっとする。
「分かりやすいところだと、人が生きるために必要な欲求が起きない。腹が減ったとか、眠いとか、そういうものだな」
「でも今、普通に酒呑んでるよな?」
「ああ。機能としては残っているんだ。何か食べれば消化はするし、酒を呑めば多少は酔う。眠れば頭はすっきりする。でも、本当は必要ない。塔から提供されるエーテルで生命活動は維持できるんだ」
淡々と語る彼に、頭の隅がちりちりと音を立てる。しかし、尋ねたのは自分自身だ。冒険者は先を促した。
「でも、なるべく食事は摂るようにしているよ。睡眠は……まあ、うん、余裕がある時にだが」
「それは、どうしてだ?」
「これらを放棄してしまったら、民と同じ目線に立てなくなる気がしてね」
私は人の身ではないが、人の心まで失っては皆の命を預かることはできない。彼は意志のこもった瞳でそう語った。
「人なら誰もが持つ欲求がない、か……」
彼がないと言っているのは、いわゆる三大欲求というものだろう。
食欲、睡眠欲、……そして、あとひとつ。
「じゃあ、性欲もないのか?」
「っ!? あ、ああ、まあ、そうだな」
酒が入っているのも手伝って、普段なら口にしづらい話題を冒険者はつるりと出してしまった。一度口にしてしまうと、むくむくと良くない類の好奇心が湧いてきた。
「もしかして百年ご無沙汰なのか? 自分でもしてない?」
「~~ッ、あのなあ! ……あんた、呑みすぎじゃないか? 水を頼んでおくよ」
「まだ二杯目だぞ」
先ほどとはうって変わり、素になって狼狽える彼の姿がどうにも好ましく、冒険者はニヤニヤとした表情を抑えられなかった。調子に乗った口がさらに滑っていく。
「じゃあさ、シモの世話してやろうか? 機能としてあるんならスッキリできるだろ?」
「は、あぁっ………?」
冒険者自身はやったことはないが、娼館もない旅先でどうにもならなくなった時、気の置けない仲間同士でちょっと擦り合って発散したというような話は時折耳にする。
なにせ命の恩人だ。彼になら奉仕してもいいか、と思った。
それに、もっと一緒にいられたら、という気持ちが今もあった。
街の長である彼は多忙だし、自分も原初世界との往復で暇とはいえない。
何でも良かったのかもしれないが、冒険者は目の前の言い訳に飛びついた。
「……なあ、グ・ラハ・ティア。どうだ?」
ダメ押しのように彼の名を呼ぶ。
目を白黒させていた彼はびくりと身体を震わせたあと、一瞬眉をしかめなんとも言えない表情をした。
そして、すっといつもの水晶公の顔になり、冒険者に告げた。
「これ以上は、開けた場所でする話ではないだろう。……あなたの部屋に伺っても良いだろうか。そこで、話の続きをしよう」
ペンダント居住館の自室に向かうまでの道のりで、夜風に当たり冷静さが戻ってきた。
冒険者の胸中には、突飛すぎる提案だったかもしれないという後悔がふつふつと湧き始めていた。
しかし、冗談じゃないとその場で一蹴することもできたはずだ。話の続きをしよう、ということは嫌ではないのだろうか。
水晶公は、沈黙したまま自分の半歩後ろをついてくるだけだ。
結局冒険者と水晶公は一言も言葉を交わさないまま、自室にたどり着いた。
「……失礼する」
「おう」
軽く頭を下げて扉をくぐった水晶公は、きょろきょろと部屋の中を見まわした。
勝手に座る訳にはいかないと迷っているのかもしれない、と冒険者は思い至った。
「ほら。ここ、座れよ」
冒険者はベッドに腰かけ、隣のスペースをぽんと叩いた。水晶公は一瞬身を固くしたが、冒険者に従い隣に収まった。
「……ええと、その。話の続き、だったな」
ややあって水晶公が切り出した。目線は床に落ちており、長めの前髪が顔にかかって表情は曖昧になる。冒険者は短く頷き、彼の話の続きを待った。
「単刀直入に言おう。……機能しないんだ」
「……うん?」
「いや、だから、~~ッ! もっと直接的に言わないとダメか……」
いまいち理解が及ばない冒険者の様子に、水晶公は軽く頭を抱えてしまった。ぐぬぬ、という声が聞こえてきそうである。
「……勃たないんだよ」
「え。でもお前、さっき機能としてはあるって」
全く想定していなかった告白に、冒険者は狼狽えた。
それならば自分は先ほどかなり、いや相当無神経な言葉を彼に投げかけてしまったのではないか。
「私は食事と睡眠の話しかしていなかっただろう!」
「うっ! そ、その、なんというか……すまん……本当に……」
今度は冒険者が頭を抱える番だった。
確かにこの内容は、人の目のあるところで話せる訳がない。僅かでも期待した自分が恥ずかしかった。
「いや、いいんだ。こんなの言われるまでわかる訳ないだろう? だから、申し訳ないのだが、あなたの気持ちだけ受け取らせてくれ」
気持ちは受け取ってくれるのか、と後悔の嵐が吹き荒れる中冒険者は頭の片隅で思った。しかも怒っている素振りはない。
それならば、と無遠慮を承知で冒険者は純粋な疑問をぶつけてみることにした。
「………でも、なんで、その機能だけないんだ? ああいや、答えたくなかったら言わなくていいからな」
「いいさ。ここまで聞かされて気にならないはずもないだろう」
水晶公は耳と眉を下げ、薄く笑った。そうして、経緯を語り始める。
「………『ない』というのは正確ではないな。捨てたんだ。私自ら」
「え………」
冒険者はなぜ、と言いかけて口を噤む。それを、彼はこれから話すはずだ。
「街を興してからしばらく、子を成してほしい、と求められることがあった。ノルヴラントの国の大半は君主制だった。民にとっては自然なことだったのだ」
私は王ではなく塔の管理者なのだが、と水晶公は言ったが、彼は実質この街の指導者である。それは冒険者の目から見ても明らかだった。
ならば、子を成してその後の実権を握ろうとする者もいるだろう思った。
「当然、それを受ける訳にはいかなかった。端末となった私が生まれてくる子に及ぼす影響は未知数だったし、要らぬ情や争いを生むかもしれなかった」
「断るだけじゃ、駄目だったのか?」
「……私に欲がなくとも機能として存在する以上、可能性はゼロにならないだろう?」
「……そう、だな」
床に落ちていた水晶公の視線は、いつの間にかまっすぐ前を向いていた。
「私の目的を確実に果たすために。私がいなくなった後も、民たちが自分の足で歩いていくために。万が一も、起こす訳にはいかなかった」
「……………」
「さて、理由としては以上だ。……どうやったかについても解説をお望みかな?」
「い、いや、それは聞かないでおく」
最後の一言を水晶公は冗談めかして言ったが、場を和ませるための冗談にしては少し重すぎやしないだろうかと冒険者は閉口した。
それにしても、と冒険者は水晶公を横目で見る。
彼は冒険者の命を救うために、どれだけのものを失い、切り捨ててきたのだろう。
身体の一部はただの石になり、誰もが持つ欲を失った。これらは氷山の一角に過ぎないのだろう。そもそも、彼は自らの命すら捨てるつもりであったのだ。
また、頭の端がチリチリと音を立てはじめた。
消え去ったはずの澱みが、胸の底にどろどろと溜まり、重さを増していく。
これは、罪悪感だ。
冒険者は耐えるように拳を強く握りしめた。これを、水晶公に知られる訳にはいかない。
この感情は、彼が歩んだ百年に対する冒涜だ。
「水晶公………グ・ラハ・ティア………」
「うん……?」
「………ありがとう。俺に命を届けてくれて」
冒険者の顔を見上げた水晶公の目が大きくひらかれた後、泣きそうに潤み、唇がきゅうと噛み締められた。
とても、哀しそうな顔だった。しかしそれは一瞬のことで、すぐに微笑で塗りつぶされた。
「……あなたのような英雄の明日を繋げることができて、誇らしく思うよ」
水晶公の左手が冒険者の方へ伸び、眉間を中指で軽く揉まれる。そこに皺が寄っていたことに、冒険者は初めて気がついた。
彼の水晶に侵されていない指はかさついていた。そして、確かに、人の温もりを宿していた。
きっと、表情に出ていたのだろう。感謝の言葉で覆い隠したはずの罪悪感も、すべて気付かれてしまったのだと悟った。
悔しかった。せめて、自分に何かできることはないだろうか。
彼が失ったものを、何か一つでも取り戻したいと強く想った。
冒険者は奉仕体質である。そうでなければ、人々のどんな小さな依頼もこなす冒険者という稼業は続かない。自分がしてもらうばかりでは、気が済まなかった。
料理の心得がない冒険者には、腹が減らずとも進んで食べたくなるような、とびきり美味い料理を振る舞うことはできない。今度、調理師ギルドの門を叩こうと心に誓った。
頭が冴え渡るようなたっぷりの睡眠を、水晶公にとってもらう事は難しいだろう。こと睡眠においては、取らなくても良いことを彼は都合よく思っている節がありそうだ。
そうなると、今の自分にできることはあとひとつ。しかし、勃つものも勃たなければどうしようもないのではないか。
冒険者は記憶を総動員した。
これまで様々な国や地域を飛び回り、数え切れないほどの人々の話を聞いてきた。
なにか、何かないか。
「ど、どうした?」
目を閉じて唸り始めた冒険者を、水晶公が心配そうに覗き込む。
冒険者の手に水晶公の手が僅かに触れた時、冒険者の脳裏でとある記憶が閃いた。
「………そうだ」
「ん?」
冒険者はすぐそこにあった水晶公の手を握り、ずいと顔を近づけた。
「若い頃に魔物との戦いで、イチモツごとぶった切られたって爺さんと話したことがある」
「お、おお……よく生きていたな、そのご老人は」
水晶公はやや青い顔をしているが、お前も似たようなことしてるだろうと冒険者は思った。構わず話を続ける。
「まあ、そこでやっぱりシモの話になったんだが。……その爺さん、ケツでなら気持ちよくなれたって言ってたんだ」
「いや、ちょっと待ってくれ。あんた目が怖いぞ。なんでいきなり、そんな話を」
冒険者の言わんとしていることに半ば気づいているのか、彼の口の端が引き攣る。
「……試して、みないか?」
「マジか………」
青くなっていた彼の顔が、みるみるうちに赤くなっていく。
でも、とかあなたにそんなことをさせる訳には、とかもごもご言っているが、握り込まれた手を振りほどかれることはなかった。
水晶公、もといグ・ラハ・ティアは好奇心が強い方だ。これは、興味ありと見た。冒険者はさらに畳みかける。
「その爺さんは話好きでな。ケツのいじり方について聞いてもないのに色々教えてくれたんだ。……今日だけじゃ難しいかもしれないが、回数を重ねれば、多分いけるはずだ」
「うぅう……」
冒険者はもう片方の手も重ねて、水晶公の両手を捕らえた。
ここはベッドの上だ。もう少し体重をのせれば、そのまま押し倒すことができるだろう。
しかし、冒険者はそれをしなかった。
彼が望まなければ、意味がないのだ。押せるところまでは押すが、最後の一線は、彼に越えてもらう必要があると冒険者は考えていた。
冒険者は水晶公の目をまっすぐと見て、言外にその意思を伝える。聡い彼はそれを正しく読み取り、更に顔を赤くして俯いた。
そこからたっぷりと時間をかけて、耳を限界まで頭に貼り付けた水晶公は、ぼそりと言った。
「………………よろしく、たのむ」
冒険者が依頼の報酬で手に入れたはずの香油を探している間に、水晶公は装飾を外し黒のローブ一枚の姿になっていた。所在無げに片腕を擦っている。
「つくづく思うが、なんでも入っているなその袋は……」
「自分でもそう思う」
持ち物袋の底にあったクローヴオイルを手にした冒険者は、水晶公の待つベッドに乗り上げた。
「デカいベッド用意して正解だったな、水晶公?」
「いや、決してこのようなことは想定していなかったからな!?」
冒険者の軽口を受け流せないほど、彼は緊張しているようだった。
冒険者はふむ、と顎をさすり、水晶公に向かって軽く両腕を広げた。
「とりあえず、ひっついてみるか?」
「へっ……?」
「いきなり下半身触られるのはハードル高いだろ」
それもそうだな、うん……と水晶公は納得したように頷き、おずおずと膝を進め冒険者の懐に入ってきた。
冒険者が腕を回すと、水晶公の身体が小さく跳ねた。しばらくすると、頭が冒険者の肩に預けられる。
懐にすっぽりと収まった彼を抱いて、水晶公は見た目以上に小柄であったことに冒険者は驚く。
初めてグ・ラハと顔を合わせた時も、彼は高いところにいたことを思い出した。
このなりで様々な種族が混在する民たちをまとめることは、さぞ骨が折れたことだろう。
「……こういうのも百年ぶりか?」
「百年どころか、眠りにつく前もなかった」
垂れ下がっていた水晶公の左腕がゆっくりと冒険者の背に回り、わずかに力が込められた。
「あったかいな……」
「うん……」
冒険者が労わるように水晶公の背中を摩ると、彼の身体の強張りが徐々に解けていく。水晶公が同じように手を動かすと、冒険者の肩の力も抜けていった。
互いの体温を分け合い同じくらいの熱さになった頃、冒険者は水晶公の耳元で囁いた。
「仰向けに寝てもらっていいか?」
「っ……! あ、ああ。わかった」
体重の移動でぎし、とベッドが軋む。
仰向けになった水晶公の腰の下に枕を差し入れた。そして、正座した冒険者の膝に彼の尻を乗せ脚を持ち、軽く開かせた。
「こ、この体勢は、ずいぶんと、うぅう……」
「無理すんなよ」
なにせ百年以上色事とは無縁だったのだ。冒険者より遥かに抵抗感はあるだろう。
この様子では、性的な接触そのものが初めてなのかもしれなかった。
「いや、大丈夫、だ。………続けてくれ」
そう言って水晶公は頬と目尻を赤く染めながら、ローブの裾を右手で持ち、捲り上げた。
視線は逸らされることなく、促すように冒険者に向けられたままだった。
冒険者の前に彼の大腿が晒される。そこは水晶に侵されてはいなかった。逞しいとまではいかないがしなやかで、鍛えられていると分かる男の脚だった。
右脚には尻尾が巻きついていた。冒険者が尾に触れるとそれはするりと解け、誘うように手の甲を撫でる。
冒険者は小さく息を呑んだ。
「………っ、下、脱がすぞ」
「ん……」
冒険者が質素な黒い下穿きに手をかけると、水晶公は腰を浮かせてその動きをたすけた。
最後の砦が取り払われ、すべてが露わになる。
冒険者の記憶より褪せた赤毛が、薄く茂っていた。茎は存在しているが、子供ほどではないにしても、成人男性のそれと思えないくらい小ぶりだった。
そして、その下に嚢は存在していなかった。
本当に、彼は、子を作る機能を捨て去っていた。
「………………水晶公」
「なッ、なんだ?」
「ここ、触ってもいいか?」
冒険者は残された陰茎を指し、水晶公にお伺いを立てた。
「~~~!!」
元々赤かった顔を更に紅潮させながらも、水晶公はこくりと頷いた。
冒険者はクローヴオイルを掌に広げ、温める。ぴりりとしつつも、どこか甘い匂いが漂い始めた。
そして壊れ物を扱うかのような手つきで、そっと茎の先端を撫でる。水晶公の内腿がぴくりと跳ねた。
「ん、っ」
「感覚は、あるのか」
「っあ、ああ」
水晶公の反応を見ながら冒険者は触れる面積を増やしていく。油により滑った掌で茎全体をすっぽりと覆い、前後にぬるぬると動かした。
「うぁ、あっ! えっ!?」
退化した陰茎は硬くはならないものの、快感を拾うことはできるようだった。冒険者が手を動かす度に水晶公の腰と腿は震え、上擦った声が漏れていく。
「……お前、本当にここ放ったらかしにしてたか?」
感度が鈍くなっているのでは、と予想していた冒険者は訝しんだ。
「あ、ほっ、ほんとにずっと触ってないからッ、さわってないのになんで、っひッ!?」
久しぶりすぎる快楽に、水晶公の呼吸がおかしくなり始めていた。冒険者は一旦手を止め、水晶公が息を整える時間を作る。
彼が落ち着いたのを確認すると、冒険者は水晶公の脚を更にぐいっと広げた。
「うわっ!」
水晶公は驚き、両手でローブの裾を掴んでいた。その動作は、ミコッテが驚いた時によく似ていた。
なんだか懐かしい気持ちになり、冒険者の頬が緩む。
「ん、ここか」
冒険者は菊座の位置を確認すると手につける香油を足し、かたく閉ざされたそこにそっと指を這わせる。水晶公がごくりと喉を鳴らすのが聞こえた。
無理に指を入れる訳にもいかないので、まずは窄まりの周辺を円を描くようになぞり、揉みほぐす。
「っ……、ふっ」
「嫌な感じはしないか?」
「少し、くすぐったいな」
羞恥からか、水晶公の耳はめいっぱいに伏せられ、顔がのぼせたように赤い。しかし好奇心が勝っているのか、視線は冒険者の手元に釘付けになっていた。
「すまん、ちょっと自分で脚持っててくれ」
「んっ、こう、か……?」
「うん。ありがとな」
冒険者は後孔の口をほぐす手は止めず、空いた方の手で茎への愛撫を再開した。たちまち水晶公の息が上がる。
「く……っ、んんっ、はぁっ」
そうしているうちに後孔が綻び、陰茎への刺激に連動してぱくぱくと開閉を始めた。
「先っぽだけ入れてみてもいいか?」
「へっ!? ……あ、ゆ、指か。わかった」
他に何があるのかと冒険者は首を傾げたが、水晶公にはいいから先に進めてくれ! と言われてしまい、答えは分からずじまいだった。
たっぷりと滑りを足した中指をひくひくと痙攣する後孔に這わせ、軽く力を入れるとつぷりと指先が侵入を果たした。
「痛くないか?」
「う、んっ……」
痛くないというものの違和感が強いのか、水晶公の額には脂汗が滲んでいた。
前を刺激して彼の気を散らしながら、冒険者は指を細かく動かし押し進める。
第二関節まで入ったところで、話好きの老人から聞かされていた『いいところ』を探し当てるべく、指を軽く鉤型に曲げて内壁をすりすりと擦ってみる。
「んっ? あなたは、なにを」
「ううん、この辺って聞いてたんだけどな……」
しばらくして、他に比べてややふっくらとした箇所を見つけた。
「ここ、どうだ?」
そう訊きながらぐっと強めにそこを押すと、水晶公の身体がびくりと大きく跳ね、尾が限界まで膨張した。
「ひぁあッ!?」
「………最初は変な感じがするだけって聞いてたんだが」
冒険者が疑いの目で水晶公を見ると、彼はぶんぶんと首を横に振った。
「い、いじってないからな! 私は! 断じてッ!!」
個人差の大きい箇所なのかもしれなかった。冒険者は確かめるように、その箇所をぐにぐにと押したり撫でたりを繰り返す。
「ぅんんっ! まってくれ、これっ、だ、ダメだっ、ほんとにッ!」
「………………」
涙目でダメと言いながらも、水晶公は自らその部分を冒険者の指に擦りつけている。
快楽に呑まれかけている彼の様子を見て、冒険者は手を止めることができなかった。
背を丸めて前屈みになり、彼の耳元に熱い息を吹きかけながらその名を呼ぶ。
「グ・ラハ……っ」
「ぁ……あぁあああっ……」
堪えるように眉根を寄せていた彼の眉と目尻が下がり、涙がこぼれ落ちた。
冒険者は埋めた指で捉えた箇所をトントンと叩いた後、ぎゅうっと強めに押しながら追い詰めるように反対の手で茎を上下に擦った。
彼はぶるぶると震え、自身の脚を持つ手に爪を食い込ませた。
涎とともに甲高い声が溢れて止まらなくなっていく。
「ふぁああっ!? やだッ、前いっしょに触るの、ぅああっ、きもちい、からぁっ、~~~ッッ!!」
彼の背が大きくしなり、萎えたままの茎から透明な液体をぴゅっと少量吐き出した。
冒険者はその姿を、瞬きもせず無言でじっと見つめていた。
諸々の後処理を終えたあとの自室には、なんとも気まずい空気が流れていた。
冒険者はベッドの端に座っており、水晶公はフードを被って冒険者に背を向け体を横たえている。
「………なんというか、初見でクリアするとは思わなかった」
「うぅうう……」
何度かに分けてゆっくり取り戻すつもりが、早々に目的を達成してしまった。少し、残念に思った。
「まあ、でも、よかったな。勃たなくても不感症じゃないことがわかって」
「……あなたでなければ、きっとこうはならない」
「え?」
水晶公は背を向けたままで、どんな表情をしているかはわからなかった。
けれど、ローブからはみ出した尾は冒険者の腕に寄り添い、肌を撫で続けていた。
「だから、あなたの都合がつくときで良い。……また、頼めないだろうか」
――冒険者は、それを、承諾してしまった。
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